中学生になるころまで、家にはいつも猫がいた。楽しい思い出がほとんどなのだが、私の中には、切ない記憶もしっかりと刻まれている。 妹と河原に行って拾ってきた「ミケ」との別れがそうだった。器量はあまり良くなかったが、いつも居間でどっしりと座って存在感があった。野良出身のプライドからか、何でも食べるし、毛繕いもトイレも外で済ませてくる。そんなミケがある日、遊びに出たまま帰ってこない。死んだ証拠もないまま日が過ぎて、悲しい気持ちはうっすらと長く続いた。 小学生のときに飼った別の雌猫もなぜか、子猫とともに姿を消した。昨日までにぎやかだったわが家の庭には、猫の小屋だけが残り、私は抱っこした感触やにおいを思い出しては泣いていた。子どもの私は、すぐに現実を受け止められなかったのだと思う。 「どうして、いなくなってしまったの」。その訳を知りたくて、当時放送されていたラジオ番組の子供相談コーナーに電話した。出演は恥ずかしかったが必死だった。回答者の先生は「神隠し」という言葉を使って、こう答えてくれた。 「猫の大好きな神様が、かわいいから自分のおうちに連れて帰ってしまったんだよ。いまごろ、ごちそうをもらって楽しく暮らしているよ」 それですっかり納得して安心したのだった。大人になってから振り返ると、思いやりにあふれた素晴らしい答えだったと思えてならない。 私は数年前から、小学生向けにはり絵教室を開いているが、いつも「なんで?」「どうして?」と質問攻めにあう。はり絵とは直接関係のないことを聞かれることもあって、どう答えたらいいのか戸惑うことも少なくない。そんなとき、あのラジオ番組と消えた猫のことを思い出したりする。
(はり絵作家、絵・タイトルも)